2018年1月11日木曜日

弁護士らしい話し(其の27)


法律家・弁護士なる仕事

 法律、法律家には、変革を起こすことは出来ないか・・・


 書家の石川九楊の言(1/5 朝日新聞朝刊)にては、法学部へ進学するも、1か月で、法律家に変革は出来ないと判断して、弁護士を目指すことを直ちに止めて、書家を志したとの由。
 とは言い条、古くは、フランスのロベスピエール、ロシアのレーニン、近くは、キューバのカストロが弁護士を生業としていたことが無視されている感想。

 扨、大阪弁護士会の新年会にて、満40年の弁護士業について、恒例の顕彰を受けました。アッと言う間の40年であります。
 昭和52(1977)年4月からの満40年余・・・戦後の高度経済成長と、これに続くバブル経済、そして、その崩壊・・・

 大阪での同期の弁護士四十余名のうち、物故した者、法律に拠り、規律違反の故に資格を失なった者、その数は4分の1を越えたことを改めて認識。結局、非日常的な狂奔に巻き込まれ、道を誤ったり、身心の不調を招いたり・・・中には、自死か、犯罪被害か判然としなかった者も・・・

 神は亡ぼそうとする者を先ず傲慢にする、という俚諺も有り、また、人が慢心しないようにする為に、神が発明された、更に、知的な勇気を欠いていたが故に、神を発明した、との言説も(バートランド・ラッセル)。

 所詮法律家は、人の世の調整しか出来ないものか・・・されど腕っ節に拠らず、此の人の世を過ごす、ということは、やはりそれなりに不可欠な仕事の筈!?と熟々考える年末年始でありました。

 本年も何卒宜しく御厚誼の程を御願い申し上げます。

敬 白

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